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エレベーター
このところ完全に仕事に「ハマって」いる。
疲れたので木曜は1日自宅での仕事に切り替えたが、いずれにしろ遠くにいる同僚たちとメールや電話で仕事をするので、トラブルは容赦なくやってる。夕方からパリと上海でバトルが始まり、夜に入って今度はアメリカとブラジル相手に手のかかる調整ごとが押し寄せて、夜中の2時でその日は止めた。床についても胃と背骨あたりの興奮がおさまらず、なかなか寝付けない。

翌朝も、前夜からの継続モードで出勤した。するとオフィスへ上がるエレベータに、最近私と同郷とわかったSさんも乗ってきた。

「明日から2日、盛岡に行くんですよ。兄の結婚式があって。」

という。会場を聞くと、駅の近くにあるホテルだ。

「いい場所だね。目の前に北上川が流れてて、そこから岩手山も見える。。。」

川の向こうは材木町だ。橋を渡ったいろいろな季節の色がよみがえってくる。情景、といのはきっとこういうことをいうのだろう。風景と記憶の重なり。

「盛岡の話をしたら、帰りたくなっちゃっった」

朝の会社のエレベータには不似合いな言葉が口をついた瞬間、涙がにじむ。
自分の階に来たので、じゃ、と言って急いで降りた。
大仕事と格闘している時、故郷の記憶は一層のどかになりる。しばらくは無理だけど、一段落ついたら帰ろうと思う場所。

席に着くと、社内報が配られていた。震災特集、表紙には被災地の子供がにっこり笑った写真の横に、「将来は日本中の人の勉強に役立つ教材を作りたい」という見出しが入っている。

嗚呼。

故郷の風景が消失してしまった人たちは、
生きている間はもう帰れないと宣告された人たちは、
今どんな気持ちでいるのだろう。
# by tnexpress | 2012-03-17 11:11 | 道草 | Trackback | Comments(0)
瀬戸内海の島へ
先週休暇を取って、瀬戸内海の島へ旅をしました。

あの辺りでは最近20年の間に現代アートのプロジェクトが新興し、
大自然の中に新種の遺跡を発見するような楽しみ方で諸島を巡ることができます。
直島では安藤忠雄さんの建築やアート作品を満喫し、そこから犬島、豊島へ渡りました。
普通の美術館では、作品はいろいろなところから収集されて展示されます。
しかし今の瀬戸内では、アーティストが島に滞在してその場所で想起した作品を作っています。
だから作品がその場に存在する意味は直感的に伝わってくるし、ちょっと意外なものとのコントラストによって自然の美しさが際立って見えます。非日常を放り込んで日常の価値を悟る、これがアートの役割なんだな、というところまで本当に素直に腑に落ちる場所です。
直島アートサイト

もうひとつ面白いのは、町中に点在するアート作品のガイドさんが、地元のおじいちゃん、おばあちゃんだということです。彼らはアーティストから直接聞いた話をすっかり自分のものにして、お客さんに伝えてくれます。ちぐはぐさを超えて、作品がレベルアップしていく印象を受けます。彼らの全身からあふれる労働と暮らしのリアリティ、その後ろにある大自然、対話のきっかけを生み出すアート。
これからどんなことをやって行きたいのか、考えを深める要素をたくさん得られたように思います。
うまく言葉になりませんが、とても刺激的な旅でした。
# by tnexpress | 2012-03-09 00:28 | 道草 | Trackback | Comments(0)
写真のワークショップ
最近ブログの更新も連絡もなく、あいつは何をしているのだろう?と、思ってくれている人も、気にしていない人もいるでしょうが、このところ、やってみたい作品の案を2つ同時に考えていて、キックできるまでもう少し時間をください。

どうも私の関心は、演劇というより急速にドキュメンタリーに動いているようです。フィクションを本物らしく見せる努力の代わりに、フィクションを介してあぶり出される私たちの現実の方にフォーカスしたいのです。もしかしたらこのアプローチは写真や音楽の作られ方の方が近い気がして、今日はとある写真のワークショップを見学させていただきました。

先生を囲んでお弟子さんが10名ほど集まり、ひとり分ずつ作品を並べては、互いに質問や批評を出し合って行きます。「なぜその対象を選ぶのか」、「何を見せたい(伝えたい)のか」、「どうやって撮ったのか」、大きくはこの3点で、特に最初の2つが肝心のようです。
そして、彼らも結構フィクションをやっているのだ!というのが大きな発見でした。文字からして「真を写す」という先入観を持っていたのですが、それは少し違いました。撮影する時と、人に見せるために再構成する時、そこに作者の意志がしっかり込められているべきだいうことを、先生は何度も指導されていました。その作業を一人で全部やらなければならない厳しさも感じました。

分業が明確な演劇の方が、割と逃げ道があるかもしれません。脚本に書いてない、演出の方向性が不明確、役者が下手だ、等々、文句を言いやすい構造なのです。今日のようなワークショップ、私もやってみようかと思います。各自が自分の読みたい作品やシーンを持ってきて、実演してみせて、参加者からフィードバックしてもらう。「なぜそれを選んだか」「何を見せたいのか」それを問いかけるだけで、私たちのグループの今が見えてくるかもしれない。

次の週末には、写真関係の仕事をしているまた別の知人と、瀬戸内海に浮かぶ現代アートの島、直島へ旅行します。共通の目的と、それぞれの関心を抱いて、さらに脳みそをシャッフルすることになるでしょう。


# by tnexpress | 2012-02-26 02:11 | 道草 | Trackback | Comments(0)
遅めの新年会
先週末、12月の公演に参加したメンバーで新年会を開きました。
池ノ上にある馴染みのお店で11人、大きめのちゃぶ台ひとつ囲んで、きりたんぽ鍋です。
どこか親戚の集まりのようで、たった1ヶ月ぶりなのに懐かしい気持ちになりました。

お酒も進んで皆声が大きくなってきたころに、いつの間にか私の演出のはなしになっていました。
「けいとさんは待ち過ぎる。」
「優しい演出だよ」
「自信ないんじゃないすか」
「もっと直接、ずばっと言ってもいいのに」
「それは下品だよ、けいとさんは上品なのよ」
「こういう作品だよ、というのをもっと早く決めてさ、、、」
「そんなの一人で決められたら、それで終わっちゃって、面白くないじゃない」
「演出は、だいたい最後まで決めたくないもんなんだよ」

自分のお葬式をさまよう魂は、こういう感じで人の話を結構可笑しがっているかもしれません。私は口を挟む間もなく、少し照れながら聞いていました。自覚のあることも、ないこともありました。

慎重で、忍耐強いのは、もともとの性格ではあります。
しかし観察眼は鋭利らしく、何気ない発言で相手に向こう傷を追わせるとか、また若い時には自分と同じ熱意とかスピードを周りに要求したことでの失敗が結構多かったので、特に稽古場ではそうならないようにとても気をつけているのも確かです。一番反省するのは、「言い過ぎてしまった日」です。よほど時間がない時は別として、相手の聞く準備ができている時だけ言うようにしたいのです。

エリア•カザンが、「舞台上で演出から怒鳴られることに快感を覚える役者が多くて困る。」と書いていたのを読んで吹き出したことがありました。私が演者の時にはあまり言われるのが好きではないのですが、そういえば、逆の人の方が多いかもしれない。

ひとつ、うすうす気付いていることがあります。社会の動きが、ヒエラルキーとか分業で合目的的に仕事の効率を上げてきた時代から、マルチタレントの個々人が自由に結びついてコトを起こして行く時代に急速に動いている中で、「演出」とか「役者」とかで役割をくくってあるべき論を語っていてもダメだということです。

私は企画の言いだしっぺでありながら、翻訳もシーン作りもその他の表現効果も、参加者が全員で持ち寄って練り上げて行く作り方を目指したい。Tennessee Expressはワークショップ、作業場になりたいのです。これが、季節はずれですが年頭の目標です。

発表を終えて、宿題が残ったのは良いことです。また戻って作業を続けていいんだなと思えます。これからしばらくは人に会う時間を作り、作業場に戻るのは少しゆっくりめに3月頃を考えています。
今年もよろしくお願いします!
# by tnexpress | 2012-02-05 01:02 | 道草 | Trackback | Comments(2)
お客様より
2012年が明けましたね。みなさまはどようなお正月をお過ごしでしたでしょうか。
公演も終わりほっとして、私は岩手の実家と、仙台の温泉や友人のところを訪ねる短い旅行をしてきました。

さてその間に、THE LONG GOOD-BYEを見てくださった詩人・俳人・文芸評論家の生野毅様から劇評を頂戴いたしました。過分なお言葉、たいへん恐縮ですが、ご本人様からぜひというご希望もありましたので、全文掲載させていただきます。どうもありがとうございます。

<生野毅様からのご批評文>
 私がテネシー・ウィリアムズの世界に強い感銘を受けたのは、元々彼の映画化作品によって、でありました。
マーロン・ブランド、ヴィヴィアン・リー主演の『欲望という名の電車』、ポール・ニューマン主演の『熱いトタン屋根の上の猫』、それから、やや記憶ちがいがあるかもしれませんが、ロバート・レッドフォード、ジェーン・フォンダ主演の(監督はシドニー・ポラック?)の『雨のニューオリンズ』等々…。とりわけ、『欲望という名の電車』は、『エデンの東』と同じエリア・カザン監督、ヒロイン役が『風と共に去りぬ』と同じヴィヴィアン・リーとは思えない陰惨な展開に、少年だった私はすこぶる衝撃を受けたものでした。
 それから、新潮文庫のテネシー・ウィリアムズ作品集をポツリポツリと読んだりしながら、彼の戯曲のセリフや構成の鋭い才気、しかしその才気はそれに触れた読む者観る者の胸を切なく深く抉るのだ、という印象を持ってゆきました…。
 それ故、テネシー・ウィリアムズの芝居の上演を生で観ることが永年の夢だったのですが、テレビ中継されたものを観たりしたものを除いては、何故かその機会に恵まれず、恥ずかしながら、そしてたいへんうれしいことに、この度のTennessee Expressの上演が、初めての機会なのでした…。  
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# by tnexpress | 2012-01-09 18:54 | 作品について | Trackback | Comments(0)


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