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今年も残りわずか

 またあっと言う間に年の終わりとなりました。
The Long Good Bye を上演してからもちょうど1年です。今年の活動は、新しく長編の翻訳を1本やり、その本読みワークショップを秋に開催というところまででした。地味めの活動成果ではありますが、参加した皆さんの反応で来年から発表に向けて動けそうだと勇気づけられました。
 
 始めよう!としている時には、よい出会いがあるものです。ちょっとした立ち話がきっかけで、1月から新しいグループと本読みワークショップを始める案が持ち上がったり、最近見つけた素晴らしいテネシー作品の解説本の著者の先生とコンタクトをとることができたりと、この2週間くらいの間に幸運が重なりました。知らず知らすのうちに、自分のアンテナが伸びて勘が冴えてきているようです。

 というわけで、新年からの動きが具体的になり次第またこのブログでも紹介していきたいと思います。皆様も、よいお年をお迎えください。
by tnexpress | 2012-12-30 23:59 | 道草

ブエノスアイレスか・・・

ここに来たら、一筆書きたかった。ブエノスアイレス!

昨年作った THE LONG GOOD-BYE で、主人公の青年が家族の記憶が染みついた家を出る準備をしながら、どこか遠くに行けたらなあ、という意味で 「ブエノスアイレスか・・・」 と空を仰ぐセリフがあったのだ。余白のあるセリフで、以来その町がどんなところなのか気になっていたものの、1年以内に実際に来れるとは幸運だった。

初めての滞在だというと皆、「町の印象はどう?カオスでしょ?」という。
そして地元の人たちの誇りは 「ノスタルジック」 であること、これが最上位だ。
ブラジルはサンバでしょ、僕たちはタンゴだから、ね、全然違う、と言われるとわかりやすい。

THE LONG GOOD-BYE と ノスタルジー、ぴったりとパズルがはまるではないか。
「ブエノスアイレスか・・・」を私は当初、「カオス」の方で解釈していた。父の出奔、母の病気、妹とのけんか、主人公を追いかけてくる悲しい記憶を断ち切るために、知らない町で喧噪に身を沈めたい、という意味で読んでいた。
それもあったろうけれども、ここでサンパウロとか、メキシコシティーではなくて、「ブエノスアイレス」を呟かせたテネシーのイメージは、もっとシンプルだったのかもしれない。
こんなふうに、長い期間の疑問がふと、体験的に腑に落ちる瞬間はとても好きだ。

もうひとつ、町の名前は 「ブエノス=Good」、「アイレス=Air」 という意味だそうだ。
「いい空気」の中で誕生日を迎えられた今年は幸先がよい、かもしれない。
by tnexpress | 2012-09-29 23:52 | 道草

バウハウス

ベルリンにやって来ました。早めの夏休みです。
散策を始めて2日目の今日は、Bauhaus資料館をじっくり見てきました。

Bauhausといえばモダンデザインのアイコンですが、それがいったい何なのか一言で説明せよと言われると難しい気がします。しかし資料館の展示内容と音声解説のお陰で、今日はその全体像の理解が進みました。それは、学校でありながら、作業場であり、実験場であり、デザイン事務所でもありました。建築、家具、テクスタイル、生活用品、写真などあらゆる分野で、教師も生徒も常に新しいことの創造にエネルギーをかけていたようです。次世代のクラフトマンの要件としてアーティストたることを求めたという印象も受けます。当時のクリエイターたちの刺激的なコミュニティが、Bauhausの時代を超えた発信力につながっているのだということに、深い感動を得ました。

「最小の力で最大の効果を」というコンセプトも私はとても好きです。努力を嫌っているように思ってはいけません。彼らは「最小の力で最大の効果を」出すための膨大な努力をしていたのです。そういうことを今日は学ばせてもらいました。

それにしても、今私たちが楽しんでいる文化の様々ななものが、1910年代に事が始まり、30年代から花開き、40年代以降に普及していることに最近関心を持っています。写真、映画、レコード、今日のBauhausもそうでした。近代化と、二つの世界大戦が世の中にもたらしたエネルギーだったのでしょうか。テネシー•ウィリアムズも1911年に生まれて、30〜40年代の記憶を作品に投じ、40年代に大ブレイクしました。社会の隔離された家庭や人物のたちの物語が多いのですが、その背景にはそれまでにない勢いで変化する社会の大騒音があったのではないか。そうと思うと、テネシー作品のもつ行き詰まり感の意味合いもさらに深く感じらてくるのです。

Bauhaus資料館
by tnexpress | 2012-07-15 22:42 | 道草

エレベーター

このところ完全に仕事に「ハマって」いる。
疲れたので木曜は1日自宅での仕事に切り替えたが、いずれにしろ遠くにいる同僚たちとメールや電話で仕事をするので、トラブルは容赦なくやってる。夕方からパリと上海でバトルが始まり、夜に入って今度はアメリカとブラジル相手に手のかかる調整ごとが押し寄せて、夜中の2時でその日は止めた。床についても胃と背骨あたりの興奮がおさまらず、なかなか寝付けない。

翌朝も、前夜からの継続モードで出勤した。するとオフィスへ上がるエレベータに、最近私と同郷とわかったSさんも乗ってきた。

「明日から2日、盛岡に行くんですよ。兄の結婚式があって。」

という。会場を聞くと、駅の近くにあるホテルだ。

「いい場所だね。目の前に北上川が流れてて、そこから岩手山も見える。。。」

川の向こうは材木町だ。橋を渡ったいろいろな季節の色がよみがえってくる。情景、といのはきっとこういうことをいうのだろう。風景と記憶の重なり。

「盛岡の話をしたら、帰りたくなっちゃっった」

朝の会社のエレベータには不似合いな言葉が口をついた瞬間、涙がにじむ。
自分の階に来たので、じゃ、と言って急いで降りた。
大仕事と格闘している時、故郷の記憶は一層のどかになりる。しばらくは無理だけど、一段落ついたら帰ろうと思う場所。

席に着くと、社内報が配られていた。震災特集、表紙には被災地の子供がにっこり笑った写真の横に、「将来は日本中の人の勉強に役立つ教材を作りたい」という見出しが入っている。

嗚呼。

故郷の風景が消失してしまった人たちは、
生きている間はもう帰れないと宣告された人たちは、
今どんな気持ちでいるのだろう。
by tnexpress | 2012-03-17 11:11 | 道草

瀬戸内海の島へ

先週休暇を取って、瀬戸内海の島へ旅をしました。

あの辺りでは最近20年の間に現代アートのプロジェクトが新興し、
大自然の中に新種の遺跡を発見するような楽しみ方で諸島を巡ることができます。
直島では安藤忠雄さんの建築やアート作品を満喫し、そこから犬島、豊島へ渡りました。
普通の美術館では、作品はいろいろなところから収集されて展示されます。
しかし今の瀬戸内では、アーティストが島に滞在してその場所で想起した作品を作っています。
だから作品がその場に存在する意味は直感的に伝わってくるし、ちょっと意外なものとのコントラストによって自然の美しさが際立って見えます。非日常を放り込んで日常の価値を悟る、これがアートの役割なんだな、というところまで本当に素直に腑に落ちる場所です。
直島アートサイト

もうひとつ面白いのは、町中に点在するアート作品のガイドさんが、地元のおじいちゃん、おばあちゃんだということです。彼らはアーティストから直接聞いた話をすっかり自分のものにして、お客さんに伝えてくれます。ちぐはぐさを超えて、作品がレベルアップしていく印象を受けます。彼らの全身からあふれる労働と暮らしのリアリティ、その後ろにある大自然、対話のきっかけを生み出すアート。
これからどんなことをやって行きたいのか、考えを深める要素をたくさん得られたように思います。
うまく言葉になりませんが、とても刺激的な旅でした。
by tnexpress | 2012-03-09 00:28 | 道草

写真のワークショップ

最近ブログの更新も連絡もなく、あいつは何をしているのだろう?と、思ってくれている人も、気にしていない人もいるでしょうが、このところ、やってみたい作品の案を2つ同時に考えていて、キックできるまでもう少し時間をください。

どうも私の関心は、演劇というより急速にドキュメンタリーに動いているようです。フィクションを本物らしく見せる努力の代わりに、フィクションを介してあぶり出される私たちの現実の方にフォーカスしたいのです。もしかしたらこのアプローチは写真や音楽の作られ方の方が近い気がして、今日はとある写真のワークショップを見学させていただきました。

先生を囲んでお弟子さんが10名ほど集まり、ひとり分ずつ作品を並べては、互いに質問や批評を出し合って行きます。「なぜその対象を選ぶのか」、「何を見せたい(伝えたい)のか」、「どうやって撮ったのか」、大きくはこの3点で、特に最初の2つが肝心のようです。
そして、彼らも結構フィクションをやっているのだ!というのが大きな発見でした。文字からして「真を写す」という先入観を持っていたのですが、それは少し違いました。撮影する時と、人に見せるために再構成する時、そこに作者の意志がしっかり込められているべきだいうことを、先生は何度も指導されていました。その作業を一人で全部やらなければならない厳しさも感じました。

分業が明確な演劇の方が、割と逃げ道があるかもしれません。脚本に書いてない、演出の方向性が不明確、役者が下手だ、等々、文句を言いやすい構造なのです。今日のようなワークショップ、私もやってみようかと思います。各自が自分の読みたい作品やシーンを持ってきて、実演してみせて、参加者からフィードバックしてもらう。「なぜそれを選んだか」「何を見せたいのか」それを問いかけるだけで、私たちのグループの今が見えてくるかもしれない。

次の週末には、写真関係の仕事をしているまた別の知人と、瀬戸内海に浮かぶ現代アートの島、直島へ旅行します。共通の目的と、それぞれの関心を抱いて、さらに脳みそをシャッフルすることになるでしょう。
by tnexpress | 2012-02-26 02:11 | 道草

遅めの新年会

先週末、12月の公演に参加したメンバーで新年会を開きました。
池ノ上にある馴染みのお店で11人、大きめのちゃぶ台ひとつ囲んで、きりたんぽ鍋です。
どこか親戚の集まりのようで、たった1ヶ月ぶりなのに懐かしい気持ちになりました。

お酒も進んで皆声が大きくなってきたころに、いつの間にか私の演出のはなしになっていました。
「けいとさんは待ち過ぎる。」
「優しい演出だよ」
「自信ないんじゃないすか」
「もっと直接、ずばっと言ってもいいのに」
「それは下品だよ、けいとさんは上品なのよ」
「こういう作品だよ、というのをもっと早く決めてさ、、、」
「そんなの一人で決められたら、それで終わっちゃって、面白くないじゃない」
「演出は、だいたい最後まで決めたくないもんなんだよ」

自分のお葬式をさまよう魂は、こういう感じで人の話を結構可笑しがっているかもしれません。私は口を挟む間もなく、少し照れながら聞いていました。自覚のあることも、ないこともありました。

慎重で、忍耐強いのは、もともとの性格ではあります。
しかし観察眼は鋭利らしく、何気ない発言で相手に向こう傷を追わせるとか、また若い時には自分と同じ熱意とかスピードを周りに要求したことでの失敗が結構多かったので、特に稽古場ではそうならないようにとても気をつけているのも確かです。一番反省するのは、「言い過ぎてしまった日」です。よほど時間がない時は別として、相手の聞く準備ができている時だけ言うようにしたいのです。

エリア•カザンが、「舞台上で演出から怒鳴られることに快感を覚える役者が多くて困る。」と書いていたのを読んで吹き出したことがありました。私が演者の時にはあまり言われるのが好きではないのですが、そういえば、逆の人の方が多いかもしれない。

ひとつ、うすうす気付いていることがあります。社会の動きが、ヒエラルキーとか分業で合目的的に仕事の効率を上げてきた時代から、マルチタレントの個々人が自由に結びついてコトを起こして行く時代に急速に動いている中で、「演出」とか「役者」とかで役割をくくってあるべき論を語っていてもダメだということです。

私は企画の言いだしっぺでありながら、翻訳もシーン作りもその他の表現効果も、参加者が全員で持ち寄って練り上げて行く作り方を目指したい。Tennessee Expressはワークショップ、作業場になりたいのです。これが、季節はずれですが年頭の目標です。

発表を終えて、宿題が残ったのは良いことです。また戻って作業を続けていいんだなと思えます。これからしばらくは人に会う時間を作り、作業場に戻るのは少しゆっくりめに3月頃を考えています。
今年もよろしくお願いします!
by tnexpress | 2012-02-05 01:02 | 道草

ミズーリ州セントルイス

 仕事で1週間ほどアメリカにいて、昨日戻ってきました。ぎりぎりのスケジュールながら、このタイミングにテネシーの国へ行ける縁を感じて週末はニューヨークで衣服、小物、本など芝居に使えそうなものを探してそぞろ歩き。

 そして最後の日曜の夜には元同僚と再会してディナーをしました。職場の近況をひとしきり話した後、私の芝居の話しになって、彼女のお父さんがミズーリ州、セントルイスの隣町の出身だったのを思い出しました。セントルイスと言えば、テネシーが7歳から青春期まで暮らした町で、今回上演の「THE LONG GOOD-BYE」や、名作「ガラスの動物園」の舞台となっています。

 「どんな町?」

 「典型的な中西部の都市ね。コミュニティ意識が強くて、よそ者にはあまり開かれてないの。そうパイオニア文化、私たちのようにはビジネスしないのよ。農業やもの作りが得意な人たちでね、独立心旺盛。南北戦争の時も武器生産の拠点だったけど、中立を保ったし。
ミシシッピ川があるでしょ。昔の物流はセントルイスが終着点 で、東部の人は怖がってそこより西には行かなかった。発展と未開の分岐点みたいな場所だったのね。」

 歴史的、地理的背景を要領良く説明してくれました。彼女はまた、その地域の生活を飾り気なく書いた作家として、テネシーとマーク・トウェインを挙げました。マークののどかさと、テネシーの切なさは何か対称的な印象を受けますが、そういえば2人とも、若い時に船乗りとして働いた経験があります。そして作品の主人公には、船で外の世界へ飛び出す夢を語らせています。

 田舎町に住んでいても、外にはもっと広い世界があることを直感的に知っていている人たちがいます。早く大人になって、家族やコミュニティの窮屈な束縛から開放されたくてうずうずしている。そのことが、故郷への複雑な感情をはぐくみます。私自身もそうだった。だからそういう角度から故郷を描くテネシーに、とても共感を覚えるのです。セントルイスの話しをききながら、その理由が今までよりもわかったように思いました。

★12月の公演のご案内はこちらから。
THE LONG GOOD-BYE
by tnexpress | 2011-11-23 20:53 | 道草

芝居の敷居

 平日の昼間は仕事、夜と週末は芝居、という生活を20年近く続けていると、職場の人たちも半ばあきれて(笑)結構応援してくれます。公演があると言えば見にきてくれたり、面白い芝居がある時は観劇に誘ったり。

 しかし、「一緒に芝居やりましょう。」この誘いはかなりハードルが上がります。頼む方も、引き受ける方も。

 私にとってはいちばん好きな「遊び」が「芝居」なので、今度サッカーしましょう、キャンプに行きましょう、飲みましょう、それらと同じことなのですが、インドア系の趣味、特に芝居というのは奇異ですよね。
こちらにも誘いにくい要因があり、その最たるものは「時間がかかりすぎる」ことです。

 芝居の場合、伝統的なフォーマットとして作品の上演時間は約2時間。古典だと3時間。
毎日稽古する人たちでも1作品作るのに1ヶ月はかかるので、週末ベースだと半年くらいほしくなります。
半年間毎週末一緒に遊ぶ約束というのは、社会人にはよほどの覚悟が必要です。
もう少しライトにできないものか?という意識から、Tennessee Expressでは、ゲストにも参加を楽しんでもらえる作戦を考案しようと思っています。

   作戦その1) 短い作品を扱う、または大作であっも分割して取り組む。

   作戦その2) 日曜3回分程度の準備で発表できるプロセスにする。

   作戦その3) 台詞の暗記を義務としない。

 どうでしょう?やってみたい人は増えるでしょうか。

 日々たくさんのドラマや映画を鑑賞し、日常生活では誰しも上司や母や息子の役を演じているのですから、「演技」というのは実は案外身近にある世界です。英語では "Play" と言うとおり、もっと「遊び」として楽しんでみませんか。
by tnexpress | 2011-10-16 22:52 | 道草

戯曲の形式

 先日我が家に遊びに来てくださったご夫婦と、このワークショップの話題になりました。
元は建築関係のお仕事をされていたそうで、芝居作りのプロセスに建築との共通点を感じたようです。

 確かにそう思います。
脚本を設計図として、演出や舞台監督が、持ち場の異なる役者(大工さん、電気屋さん、左官屋さん、配管工、等等)にそれぞれ働いてもらって、最終的にはひとつの作品(建物)として同じタイミングで完成させる、といったところ。

 だんな様の方は少し役者業に関心を持っているようだったので、
「脚本見てみます?」ということで、手持ちの短編を2本印刷して差し上げました。

 脚本を見た奥様は、「原作はないんですか? せりふしか書いてないの?」とびっくり。物心ついたころから脚本と遊んでいた私には、目からウロコの落ちるような指摘でした。
「この言葉をどういう気持ちで言うのか、どうしてそう言うのか、そういうのも書いてあるのかと思った」そうです。

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 ほんとですね。まさに、その空白が役者の腕の見せ所なのです。
行間を読み取り、表現に起こす、そして共演者との共同作業の積み重ね。
身体や思考は人それぞれなので、同じ脚本も演者が違えば様々な形に化学反応します。
それゆえ面白いし、また時間もかかる代物です。

 当たり前になっていたことの意味に気付かせてもらえる素朴な質問は、素晴らしいですね。
住み慣れた世界が、また新鮮に見えてきます。
by tnexpress | 2011-10-08 19:20 | 道草